この歌は1956年(昭和31年)2月、窪田20歳の時に『うたごえ新聞』にて発表された。母のからの小包みへの想いや戦時中に疎開していた長野県長野市の旧信州新町地区の情景を歌詞にしたものとされる[2]。 1989年、信州新町に『かあさんの歌』の歌碑が建てられた[
作詞・作曲者の窪田聡は、1954年(昭和29年)に進学校だった開成高校を卒業した後、合格していた早稲田大学に合格するも、太宰治に心酔してデカダン(頽廃的)な生き方に憧れ、映画・たばこ・酒に耽溺する日々を送っていました。
彼は文学で生きていく決意を固め、親が準備してくれていた入学金・授業料をもって家出してしまいます。 安下宿に隠れ住んで、就職しましたが、そのかたわら、文学を志して家出[1]。埼玉県でうたごえ運動の活動をしていました。しかし活動では生活は成り立たずその日暮らしであった。次兄を通じて居所を知った母親から小包が届き始めたのは、そのころのことでした。小包には、彼の好きな食べ物や手編みのセーター、ビタミン剤などとともに、「体をこわさないように」といった母親の手紙がいつも入っていました。彼は歌声運動の中心となりアコーディオン抱えて全国を飛び回り歌声運動を拡げました。
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