「安曇」について調べてみました
『比良(ひら)』『比叡(ひえ)』『日枝(ひえ)』『安曇川(あどがわ・あづみ)』『小野(おの)』『和邇(わに)』『志賀(しが・しか)』など、いにしえの言葉が多く残っています。もともと、日本語は漢字ではなく、言葉の読みに中国からの漢字を当てはめたものが多かったとことです。
安曇の地名とその由来
「安曇」にはさまざまな表記があります:安曇、阿曇、阿積、安積、安津見(あつみ、あづみ、あど)、熱海、厚海、厚見、渥美、(出)泉、飽海(あたみ、あつみ)。
阿曇氏について
阿曇氏は海神(ワタツミ)を信仰する一族で、古代日本を代表する海人族として知られています。発祥地は現在の福岡市東部にあたる筑前国糟屋郡阿曇郷とされ、中国や朝鮮半島とも交易を行っていました。後に北部九州の福岡志賀島から全国に移住しました。
「安曇」は「海に住む人」を意味するとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあります。
律令制の下で、阿曇氏は宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官を務めました。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられたためです。
安曇氏が移住した地
阿曇氏が移住した地は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されています。これらの地名は九州から瀬戸内海を経由し、近畿地方や三河国、伊豆半島、さらには出羽国北部にまで広がっています。内陸部の安曇野(長野県)にも安曇氏の名が残っており、穂高神社では海神を祀っています。例大祭では大きな船形の山車が登場するなど、海人族の伝統が色濃く残っているとのことです。