1960/S35~S45

思い出の渚 1966 ザ・ワイルドワンズ

作詞は鳥塚繁樹、作曲は加瀬邦彦。加瀬邦彦の12弦ギターで大ヒットし、100万枚以上[1]を売り上げた。東芝音楽工業が有する洋楽レーベルのひとつだったキャピトル・レコードから発売された。モノ・ミックスでのシングル発売だったが、後のLPではステレオ・ミックスされて発売された。

ザ・ワイルドワンズは、ブルージーンズを脱退した加瀬邦彦が、当時若者に人気の週刊誌「平凡パンチ」に募集記事を載せたのが始まりである。数々の応募者の中から、”ディメンション” にいた植田芳暁、立教大学のサークル “カントリー・フレッシュメン” の鳥塚繁樹、友人とアマチュアバンド “ロック・ビート” を組んでいた島英二の3名が選ばれ、1966年7月結成した。グループ名「ワイルドワンズ」とは、加瀬邦彦の大学(慶応義塾大学)の先輩である加山雄三が名付け親である。彼が当時、星占いに凝っていた事もあり、それにより「野生人=WILD ONES」と名付けられた。


静岡・伊東で合宿を行い練習をスタート。渡辺プロに所属し、8月には本格活動を開始した。10月から始まったNTV「あなた出番です」にレギュラー出演するという快挙を遂げ、同年11月「想い出の渚」でレコード・デビューをする。1967年1月には、ザ・タイガースと共にウエスタン・カーニバルに初出場を果たした。引用~団塊世代の思い出

加瀬邦彦~慶応義塾大学在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する[2]。その後ホリプロに所属し、清野太郎かまやつひろしらと「キャノンボール」を結成[2]1963年には事務所の指示により、かまやつと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いで約3か月後に脱退し、寺内タケシとブルージーンズに加入した[2]。しかし・・本人談「寺内たけしとブルージ一ンズ時代 に、ビートルズが来日することになり、前座 として共演できることになったんです。ビー 卜ルズの大ファンだったのでとても嬉しか ったのですが、警備がものすごく厳しい。前座が演奏し終わったら外から鍵をかけて、 ビートルズの演奏が終って彼らが武道館から出たら鍵を開けるというんです。これでは ビートルズを見れないわけですよ。それなら バンドを辞めて観客として見た方がいいと 思い、それでビートルズの公演の一ヶ月前 に辞めてしまったんです。ビートルズは客席 から無事に見ることができました」引用~日刊SUNWEB

所属していたホリプロはそれでも、加瀬を引きとめ給料を支払い続けていたが、「ただで給料をもらうのも申し訳ない」と同年7月に、加山雄三(家が近所で学生時代から親交があった)が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成(この時、渡辺プロに移籍)。得意の12弦ギターヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。

解散後は、PYG(ピッグ)や井上堯之バンドともかかわりを持ち、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなる

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