8月 2020

ぼくのそばにおいでよ 1969加藤和彦

1969年10月10日に発売された加藤和彦のソロ名義による3枚目のシングル。アメリカのシンガーソングライター、エリック・アンダーソンの楽曲を日本語でカバーしたものである。

https://youtu.be/W_vvB7GzYb8

https://youtu.be/uRjE5cp9Rnk

原曲の「COME TO MY BEDSIDE」はアメリカのシンガーソングライター、エリック・アンダーソンが1964年に発表した楽曲で、自身の1枚目のアルバム『TODAY IS THE HIGHWAY』(1965年)にも収録された。日本では日高仁による訳詞版がフォーク系のミュージシャンなどに取り上げられ、ザ・フォーク・クルセダーズもこの曲をレパートリーとして1968年10月の「フォークル さよならコンサート」(アルバム発売:1969年2月)でも歌われた。

家をつくるのなら 1971 加藤和彦

「家をつくるなら」は加藤和彦の2枚目のソロ・アルバム『スーパー・ガス』の収録曲で、ザ・フォーク・クルセダーズ解散後のソロ活動初期に松山猛と書いた曲のひとつである。

https://www.youtube.com/watch?v=iHHDMxNTJ8I

新居を構える夢を歌ったこの曲は当初アルバム収録のみであったが、ナショナル住宅建材株式会社(現:パナソニック ホームズ)のCMに使われることとなり、アルバム発売から1年以上経った1973年3月にシングル・カットされた[1]

イムジン河 1968 ザ・フォーク・クルセダーズ

日本語詞のついた「イムジン河」のうち、最もよく知られているのが1968年前後にザ・フォーク・クルセダーズが歌ったものである。臨津江 (リムジン江) で分断された朝鮮半島についての曲であり、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、なぜ南の故郷へ帰れないのか、誰が祖国を分断したのかを鳥に問いかけ、故郷への想いを募らせる内容である。

https://youtu.be/1-eJDL3zLCQ

もともとは、のちにフォーク・クルセダーズやサディスティック・ミカ・バンドの作詞を担当することになる松山猛が、京都での中学時代に、松山の中学との喧嘩に明け暮れていた京都朝鮮中高級学校の学生たちにサッカーの試合を申し込もうと朝鮮学校を訪れたとき、この曲を耳にしたことがきっかけだった。松山はトランペットの練習を九条大橋でよく行っており、同じ場所にサックスの練習に来ていた朝鮮学校の文光珠と親しくなり、メロディ歌詞を教わり、松山は彼から、歌の1番の歌詞と日本語訳が書かれたもの(彼の姉が書いてくれた)と、朝日辞典を渡された[19]

https://youtu.be/u4moZ_u47Ik

後年、松山はフォーク・クルセダーズ(当時はまだアマチュアで、厳密には「フォーク・クルセイダーズ」と名乗っていた)のメンバーと知り合いになり、加藤和彦に口頭でメロディを伝えた。それを加藤が採譜したものがこの曲であり、原曲の「臨津江」とは全く成り立ちが異なる。教わった1番だけでは歌うのに短すぎるため、松山は2番と3番の歌詞を付け加えた[20]。それまでコミカルな曲を持ち味としてきたフォーク・クルセダーズだが、初演では聴衆から大きな拍手が沸いたという。1966年のことだった。

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