1937年(昭和12年)に発表された日本の童謡。作詞は武内俊子、作曲は河村光陽。河村順子の歌唱によって、同年4月にキングレコードから、発売され、戦前および戦中の童謡のレコードとしては大ヒットとなった[5
武内俊子が作詞を行ったきっかけは、昭和8年、ハワイに旅行する叔父 )を見送るために横浜港のメリケン波止場に行き、夕日差す桟橋一帯にたくさんの白いカモメをみたことにある[4]。帰り道、かもめの白い姿を水兵に見立てて詞を完成させた。 •俊子は、すぐにコンビを組む河村光陽にどのような詞なのかを電話で連絡した。
それを聞いた光陽はその場でピアノを弾き始め、その日のうちに曲を完成させたという[12]。 •詞から浮かんだ海の青とかもめの白の明瞭な組み合わせを曲で表現するために、音楽の基本的な三和音の「ド・ミ・ソ」を歌いだしに用いて、簡潔な旋律を用いた[4]。このように父が弾いていた曲を自宅で聴いていた娘の河村順子は、すでに曲を覚えた状態でレコーディングに臨んだと後に証言している[13]。 •
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