1948年、ジョニーマークスによって『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』のストーリーを元に楽曲が制作され、1949年にジーン・オートリー (Gene Autry) の歌でレコードが発売された。オードリーのレコードは当時200万枚を売り上げ[2]、ビルボードチャートで1位を記録した。
1938年に実際にあった出来事として、1939年にシカゴの通信販売会社モンゴメリー・ウォード (Montgomery Ward) 社に勤めるロバート・L・メイ (Robert L. May)によって同社の宣伝用の児童書が書かれ、250万部のベストセラーとなった[2]。同書は1946年に再発行され、さらに350万部を発行した[2]。
「真っ赤なお鼻のルドルフ」原作者ロバートは妻と娘のバーバラの3人家族。娘の母は難病で寝たきり療養中でした。泰樹給料で働くロバートの収入は治療費と薬代に消え、貧しい生活でした。娘は友達からいじめられてました。娘は父親に尋ねます。 「どうして私達は、みんなと違うの?」
それは、ロバート本人が身にしみて感じていること。自分自身、小さい頃から体が小さくていじめられ、貧しくて進学することもでず、良い仕事にもつけなかった。おまけに安月給で、治療費のために借金だらけ……そんな父は、娘の質問にどう答えたらいいのかわかりませんでした。
そこで、娘を喜ばせたいという一心で、「真っ赤なお鼻のルドルフ」の話を即興で語り始めたのです。自分自身のコンプレックスを赤鼻のルドルフに託し、神様に創られた生き物はいつかきっと幸せになることを、幼い娘、病と闘う妻、そして自分自身に言い聞かせたかったからだといいます。
その後、娘にせがまれて毎晩この話をするようになった父は、クリスマスプレゼントとしてお手製の本にまとめ始め娘や妻への心のこもった贈り物bにしようしました。完成を目前にして妻がこの世を去ってしまいます。打ちのめされたけど、娘のために本を完成させ、愛する娘を喜ばせました。
数日後、会社のパーティーでロバートが「真っ赤なお鼻のルドルフ」を朗読すると、会場から割れんばかりの拍手が起こりました。そうして1939年、彼の会社(大手デパート)から240万冊もの本が(宣伝用として)無料で配られ、この物語が世界中に広がっていったのです。やがて、1949年にロバートの義兄弟によってお馴染みの歌が作られ、クリスマスの定番として愛され続けているのです
その後も時代を越えたロングセラーとして、「サンタが街にやってくる」、「ジングルベル」と並ぶ三大クリスマスソングとなる。作詞作曲者のジョニーが亡くなった1985年までに「赤鼻のトナカイ」の総売上は1億5000万枚を突破した[3]。