作詞:佐々詩生、作曲:上原げんと
昭和21年。戦後の焼け跡に聞こえてきた歌。この時節に花売り娘などはいなかった。日々の食糧にも事欠く時代に、日本人には花を手にするゆとりはない。この年の末に、人気女優原節子とカーネーションを配した色刷りポスターを資生堂が戦後初めて出したが、その花も「夜の銀座で進駐軍に名の売れていた自称ジョージから入手した」と伝えられている」(資生堂ものがたり)というほどの貴重品。
花を手に入れることもできず、売れるはずもない。花売り娘もいなかった。歌のヒットがきっかけになりその後花売り娘が出始め、二十四年ころには八十人ほどになり、大半が小学生だったという。二十七年には児童福祉法の改正施行に伴って警視庁築地署が約五十人を補導したと報じられている。」 (funfanサイトより)。
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