1969年「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得した。このコンテストにはオフコース(当時は「ジ・オフ・コース」)、チューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」)も出場しており、財津和夫はオフコースに、小田和正は赤い鳥にそれぞれ「負けた」と思ったという。村井邦彦は東京から尼崎まで赤いポルシェで駆けつけたらしいです。
1970年4月に渡欧、ロンドンでレコーディングを行う。6月に日本コロムビアからシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。9月、東芝EMIレコード/Liberty レーベルに移籍。10月、合歓ポピュラーフェスティバル'70に出場、「翼をください」で新人奨励賞を受賞する。1971年2月発売の「竹田の子守唄/翼をください」が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。