雪山賛歌 昭2作詞
1926年(大正15年)[2][3]1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村の鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎[注 1]が、雪で足留めされた際、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」と話し合い、詩を書いた。それがこの歌である。
山岳部の仲間内で気に入っていた『いとしのクレメンタイン(Oh My Darling, Clementine)』のメロディーに言葉を当てはめ、好きなままに詩を作ったということを、西堀自身が後に著書で明かしている。
この歌が世に出た時は、作詞者不詳とされたが、桑原武夫[注 2]が西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税によって京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もある。この歌は、1951年(昭和26年)の年間ヒット曲第10位であった[4][5]。
後に本作の代表的なアーティストとなるダークダックスのメンバーは、グループ結成前の1950年(昭和25年)頃、慶應ワグネルのメンバーとして志賀高原にスキーに訪れた。この時、バスの車掌が口ずさんでいるこの歌を聴き、初めてこの歌の存在を知った[6]。