7月 2020

雪山賛歌 昭2作詞

1926年大正15年)[2][3]1月、京都帝國大学山岳部の仲間たちと群馬県吾妻郡嬬恋村鹿沢温泉に来ていた西堀榮三郎[注 1]が、雪で足留めされた際、退屈を紛らわせるために仲間たちと「山岳部の歌を作ろう」と話し合い、詩を書いた。それがこの歌である。

山岳部の仲間内で気に入っていた『いとしのクレメンタインOh My Darling, Clementine)』のメロディーに言葉を当てはめ、好きなままに詩を作ったということを、西堀自身が後に著書で明かしている。

https://youtu.be/CEF6TfwkuLo

この歌が世に出た時は、作詞者不詳とされたが、桑原武夫[注 2]西堀榮三郎を作詞者として著作権登録の手続きを行った。この著作権印税によって京都大学山岳部の財政が潤ったという逸話もある。この歌は、1951年(昭和26年)の年間ヒット曲第10位であった[4][5]

後に本作の代表的なアーティストとなるダークダックスのメンバーは、グループ結成前の1950年(昭和25年)頃、慶應ワグネルのメンバーとして志賀高原スキーに訪れた。この時、バス車掌が口ずさんでいるこの歌を聴き、初めてこの歌の存在を知った[6]

星の世界 明48年訳詞

作詞 ジョセフ・スクライヴェン 訳詞 川路柳虹リュウコウ 明治8年 チャールズ・コンヴァース作曲 

https://youtu.be/rcOgIe_SDq8?list=TLPQMjUwNzIwMjAfHo87V0IhkA


作詞者スクライヴェンの婚約者が結婚直前に亡くなり、深い悲しみ、苦しみと失望のどん底に突き落とされました。その時、全ての苦しみをイエスにゆだねた時に生まれた詩といわれています。
悲しみや困難が訪れたときに、イエス・キリストはいつでも見守っていますよという思いが込められている歌です。

https://youtu.be/sQqmZvD3RUQ
https://youtu.be/Bo-Cmd3JM4c?list=TLPQMjUwNzIwMjAfHo87V0IhkA
https://youtu.be/AC5gdCL5FOo?list=TLPQMjUwNzIwMjAfHo87V0IhkA

茶摘み 明45

小児が2人組で向かい合って行う、「せっせっせーのよいよいよい」で始まる手遊び歌としてもしばしば用いられる。この手遊びでの繰り返しの動作は、茶葉を摘む手つきを真似たものとも言われる。

https://youtu.be/J_rt3zrx3rQ

•茶を摘む際にはを掛けて行われる。 •茜は、止血剤として知られている。素手の作業ゆえ、指先に怪我をしやすい茶摘みという作業に際して、襷の茜成分を擦り込みながら作業を継続するという先人の知恵がこの装束にあると、大津市無形文化財である草木染名人の三代目太田藤三郎は分析している。

船頭小唄 大12

1921年大正10年)1月30日民謡「枯れすすき」として野口雨情が作詞、同年に中山晋平が作曲した。レコード発売は大正12年

https://youtu.be/EvZqii75W0E

大12年、松竹から池田義信監督、主演・岩田祐吉栗島すみ子で映画化された。

1957年昭和32年)1月東京映画配給の映画『雨情物語』の主題歌として森繁久彌が歌い、大正からの昭和まで、また現代においても「枯すすき」に人生の哀愁に共感するとしてヒットした流行歌となった[1]。「おれ河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき……」と男女の間柄を歌っている。また、1974年(昭和49年)には類似の哀愁を持つ曲「昭和枯れすすき」、作詞:山田孝雄、作曲:むつひろしさくらと一郎もあり、翌年の1975年(昭和50年)、同名の映画も作られた。

なお、『船頭小唄』は明仁上皇がカラオケの十八番としているという[2]

ゴンドラの唄 大4

1915年(大正4年)に発表された歌謡曲吉井勇作詞。中山晋平作曲。芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。

https://youtu.be/FXX0RpALVbA

生きる』(いきる)は、1952年に公開された日本映画である。監督は黒澤明、主演は志村喬モノクロスタンダード、143分。東宝創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。

https://youtu.be/PIoqN6iau2E

黒澤作品の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したと評価される作品で、題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した。劇中で志村演じる主人公が「ゴンドラの唄」を口ずさみながらブランコをこぐシーンが有名である。国内ではヒットし、第26回キネマ旬報ベスト・テンで1位に選ばれた。海外でも黒澤の代表作のひとつとして高く評価されており、第4回ベルリン国際映画祭でベルリン市政府特別賞[注釈 1]を受賞した[注釈 2]

カチューシャの歌 大正3♪

大学教授の島村抱月と芸術座を旗揚げし、カチューシャ役が大当たりし、人気女優となった。レコードも大ヒットとなり本初の歌う女優となった。

https://youtu.be/fbbrot0eN3Q

1917年に発売したレコード『今度生まれたら』北原白秋作詞)は、日本初の発禁レコード~「かわいおなごと寝て暮らそ」の部分が問題だった。 1918年11月5日、抱月が病死(スペイン風邪)すると、2ヶ月後の1919年1月5日芸術倶楽部の道具部屋において自殺。抱月と不倫関係にあった須磨子は、遺書で抱月の墓に一緒に埋葬されることを望んでいたがそれは叶わなかった 

道頓堀行進曲~昭2♪

1927年(昭2)の日活映画『椿姫」のチェーン劇場の幕間劇『道頓堀行進曲』の主題歌である。 1928年1月7日より神戸松竹座、その次の週に京都松竹座、さらに翌週の大阪松竹座で歌われ大評判となった。メロディーが同じで歌詞が違う「浅草行進曲」もあります。

https://youtu.be/hwRIcYJdZg8

「椿姫」主演は撮影中に俳優の竹内良一と駆け落ちした岡田嘉子でした。

岡田嘉子さん

うれしい雛祭り~昭11♪

https://youtu.be/_zv8bCakElM

昭和10年、サトウハチローが娘に雛人形を買ってやった時にに作詞したと言われています。 それに河村が曲をつけ、昭和11年にレコードが発売されました。

楽しい行事を歌った曲で、題名にも「うれしい」とあるにもかかわらず、寂しげな調子の歌です。でも、日本情緒がよく表現されています。「お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔」~サトーハチローの姉は嫁ぎ先が決まった矢先に18歳で結核で亡くなった姉への想いが伝わってきます。

サトウハチローが作詞した楽曲の中では最もよく歌われ、日本では広く知られた曲となっている。でも、歌詞には雛人形を歌った内容としては不正確な描写が含まれており、作詞したサトウハチローはこうした誤りを気にし、晩年までこの曲を嫌っていました。   *男雛と女雛(一対で内裏雛)を「お内裏様とお雛様」と呼ぶのはこの歌から広まった誤用で、また右大臣を「赤い顔」としているのも誤りである(実際は左大臣)

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