7月 2020

こいのぼり~昭6♪

https://youtu.be/DaUxtzKGV4U?t=29

1昭和6年12月に刊行された「絵本唱歌~春の巻」に掲載された。

鯉のぼりは、 明治時代後半か大正時代にかけて真鯉(黒い鯉)と緋鯉(赤い鯉)の二匹を一対であげるようになったが、武家発祥の行事であったこともあり真鯉と緋鯉は父と子(男児)を表していたとされる。第二次大戦後、昭和30年代後半には、小さい青鯉が加えられるようになり、家族観の変化ども相まって鯉のぼりの構成は緋鯉(赤い鯉)が母親、青鯉が子どもと再定義されるようになった。

赤い靴

大正10 作詞 野口雨情 作曲 本居長世

 詞は大正10年(1921)、『小学女生』という雑誌に掲載されました。翌年、本居長世が曲をつけ、その娘・貴美子の歌で発表されました。

https://youtu.be/MMFkZSKlASM

• 野口雨情の詞には、モデルがいます。静岡県生まれの「岩崎きみ」という女の子で、母親が北海道の開拓地に入植するため、アメリカ人の宣教師に養女として預けられたのです。
きみは結核にかかり、9歳で亡くなってしまったため、実際にはアメリカには行っていません。東京の青山墓地に彼女の墓があります。あまりに幸薄く、はかない一生でした。 • この歌が有名になってから、静岡県日本平に「親子の像」、横浜の山下公園に「赤い靴はいてた女の子」の像が建てられました。
*これについての詳しい説明は、「麻布十番商店街」のホームページの中にあります。

故郷

大正3 作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一

この歌を聴くと、この歌を歌うと、人々は、故郷を想い出し、それぞれの故郷の情景が浮かんでくる、日本の歌・ふるさとの歌を代表する歌である。

https://youtu.be/p1eZ8sIDF1A

作詞の高野辰之の幼少時代を過ごした故郷(長野県中野市)の風景・望郷の思いを描写したと伝えられる。 兎を追った山は、大平山・小鮒を釣った川は斑川であるという。
作曲の岡野貞一は、鳥取出身で、高野とコンビを組み、小学唱歌の中の名曲を手がけた。こよなく愛し故郷の砂丘をたイメージを作曲するときには思い浮かべたであろうと、砂丘を愛した様を岡野の様子を夫人から聞いた話を「教育音楽(1988刊)」の紹介している作家の鮎川哲也がいっている。

高野辰之【たかのたつゆき】(M9/1876~S22/1947):豊田村出身の国文学者,1910年東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)教授となる。広く文献資料を収集・考証し,邦楽,歌謡,演劇の芸態とその史的研究の先駆者として未踏の分野を開拓した。1925年論文「日本歌謡史」により文学博士の学位を受け(翌年刊行),1926年から東京大学で日本演劇史を講じた。のち大正大学教授に就任。晩年は、野沢温泉村の別荘で過ごした。
小学唱歌の作詞者として著名。その代表作として、彼の幼少を過ごした信州の自然を織り込んで作詩した「故郷」「おぼろ月夜」「紅葉」「春がきた」「春の小川」 などがある。いずれも今でも皆にに親しまれている郷愁を誘う歌である。先に挙げた四曲は、平成元年NHKがおこなった「日本のうた ふるさとのうた」100選に選ばれた曲である。
また、郷里の豊田村には、「故郷」の記念碑・高野辰之記念館が、野沢温泉村には、「朧月夜」歌碑が建てられていて「おぼろ月夜の館」という名前の記念館がある。
https://youtu.be/rLfUn6lf0Vo?list=TLPQMjgwODIwMjDaOyxsPb0AQg
https://youtu.be/CbtGpjqmW60

赤とんぼ 大3

大正3 作詞 三木露風 作曲 山田耕筰

•中年になった私(露風)が縁側かどこかから庭を見ると、竹垣か物干し竿の先に赤とんぼがとまっていた。それを見た瞬間、幼時の記憶が次々と甦ってきたきた。
ねえやにおんぶされて赤とんぼを見たことがあったが、あれはいつのことだっただろうか。山の畑で桑の実を摘んだことがあったような気がするが、あれは夢だったのだろうか。ねえやはずいぶん若いときに嫁にいってしまい、今では実家の様子もわからなくなってしまった― •露風が故郷である兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)で過ごした子供の頃の郷愁から作ったといわれています。

https://youtu.be/XKx_cWKMqZo



ねいやとは実の姉でなく子守奉公の女の子のことです。三木露風が5歳の時に両親が離婚。母親とは生き別れとなり、祖父の元で子守り奉公の女中(姐や)に面倒を見てもらっていた。女中の姐や(お姉さん)に背負われて「夕焼小焼の 赤とんぼ」を見た幼い頃。その姐やもやがてお嫁に行き、姐やからの手紙(便り)も送られてこなくなってしまった。 •「お里のたより」については、誰から誰への手紙なのかについては解釈の余地がある。姐やの故郷から姐やへの手紙なのか、お嫁にいった姐やから三木露風への手紙なのか、母親から三木露風への手紙なのか、様々に考えられる。聴く人それぞれの解釈の余地を残しておいた方が作品に奥行き・厚みが出るので、これはこのまま結論を出さずにおいておくのが良いのかもしれない 引用~世界の童謡・民謡worldfolksong.com

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