昭和24年映画『銀座カンカン娘』の主題歌。映画の中の歌唱では、カンカン帽を斜めにかぶりという歌詞があったのですが、レコード化されたときは消えています。
カンカン帽とは、日本では明治の末から男性の間で流行りはじめ、大正に入ると洋装・和装問わずカンカン帽をかぶるスタイルが大流行し、昭和初期まで流行は続いた。叩くと「カンカン」と音がするほど固い帽子であることからカンカン帽という俗称が定着した[要出典]。当時は「紳士たるもの外出時には帽子を着用するものだ」というのが常識であったため成人男性の帽子着用率は非常に高く、特にカンカン帽の人気は高かった。職場においても、夏場の正装として受け入れられていたようです。
正装の帽子を茶化したような表現は当時の男性社会には受け入れ難かったのも知れないですね。
当時パンパンガールという言葉がありました。星の流れでそれが描かれています。~歌は菊池章子 作詞の清水みのるは東京日日新聞に載った女性の手記を読んだ。もと従軍看護婦だった彼女は、奉天から東京に帰ってきたが、焼け野原で家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身を嘆いていたという利根一郎は上野の地下道や公園を見回りながら作曲し、清水みのるはこみ上げてくる怒りで徹夜で作詞した。完成した際の題名は『こんな女に誰がした』であった[1]。
政府から「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、題名を『星の流れに』と変更して発売となった[1]。こんな女にしたのは戦争を起こした日本の政治家ではなかったでしょうか。当初コロンビアレコードは、ブルースの女王淡谷のり子に吹き込みを依頼した。しかし、「夜の女の仲間に見られるようなパンパン歌謡は歌いたくない」と断られた。そこで、会社は菊池に吹き込みを依頼した。彼女は歌の心をよく把握し、戦争の犠牲になった女の無限の哀しみを切々とした感覚で歌い上げた。
「カンカン娘」とは山本嘉次郎の造語であり、当時の売春婦の別称「パンパンガール」に対して「カンカンに怒っている」という意味が込められていた。戦後の暗い世相を嘆いた山本の心の叫びであったらしいです(CD集「懐古・昭和歌謡」曲目解説書(解説:森島みちお)より)。高峰秀子が「カンカン娘ってどういう意味なんですか?」と作曲の服部と作詞の佐伯に尋ねたところ、二人とも知らなかったという逸話がある[要出典]。